History
近江屋のあゆみ
米国では当時すでに輸送包装の80%をダンボール箱が占めており、一方日本ではまだ木箱の全盛時代でした。
この輸送包装の実態を目の当たりにしたことによって、包装産業におけるダンボールの地位が飛躍的に向上することになりました。
大阪市天王寺区木野町において、包装資材の総合卸問屋として、近江屋商店を創業。
門谷伸二(現会長)誕生。
事業の発展とともに商業の中心地である船場に移転。
北隣で営業していた八百屋が閉店のため、店舗を買い取る。
株式会社近江屋(代表取締役門谷義文)資本金1,500千円で設立。
社員7名、店舗並びに倉庫として約331㎡。
南隣の畳組合の事務所が移転するとのことで資金を工面して買い取る。
近畿段ボール箱協同組合の理事に就任(門谷義文)。
大阪市鶴見区にダンボール工場及び営業所を開設(放出工場・鶴見営業所)。
需要が拡大するとともにユーザーニーズはますます多様になり、1959年から1966年にかけて、耐水ダンボール、プレプリント、強化ダンボール原紙、カットテープなどの開発が進められ、ダンボール業界は実用化競争、いわゆる「包装革命」に入りました。
資本金5,000千円に増資。
大阪府紙器段ボール箱工業組合の設立に参画(門谷義文)。
本社ビル新設。
大阪府紙器段ボール箱工業組合の理事に就任(門谷義文)。
国産の技術開発が急速に進み、過熱景気のなかで増加を続けたダンボール生産量は、1973年後半に起きた第1次オイルショックによる経済情勢の激変を受け、1974年には前年比85.1%、1975年には前年比94.0%と初めてのマイナス成長となりました。
門谷伸二(現会長)が近江屋に入社。
資本金7,500千円に増資。
1980年には、1979年に起きた第2次オイルショックにより、業界全体が第1次オイルショック以来のマイナス成長に転落。しかし、それ以後経済の立ち直りとともに順調な伸びを回復。
大阪府紙器段ボール箱工業組合の理事長に就任(門谷義文)。全国紙器段ボール箱工業組合連合会の副会長に就任(門谷義文)。
大阪市長より、中小企業経営の合理化成果で表彰される。
資本金10,000千円に増資。
企業経営の合理化成績が特に優秀として、大阪通産局長賞を受賞。
産業の振興発展に寄与したとして、大阪府知事賞を受賞。
合理化経営の模範企業として、中小企業庁長官賞を受賞。
鶴見営業所社屋改装新築。
1990年以降のダンボール需要は、バブル経済の崩壊、円高、製造業の海外移転によるアジア諸国からの輸入商品の急増などによりその伸びは鈍化しました。しかし、日本人の生活構造の変化に対応した新しい需要が生まれ、引き続き堅実な成長を続けました。
門谷義文 勲五等瑞宝章受賞。
門谷伸二代表取締役社長に就任、門谷義文取締役会長に就任。
資本金20,000千円に増資。
鶴見営業所社屋改築。
ダンボールの製造・利用事業者と再商品化に係わる事業者団体が、容器包装リサイクル法に対応するためにダンボールリサイクル協議会を設立し、より一層リサイクルの認識が強くなっていった。
創業50周年記念式典。
関東営業所開設。
創業者の門谷義文会長永眠。
関東営業所増設。
相談役の門谷田鶴子永眠。
東大阪L.S.C(ロジスティクス・サポート・センター)開設。
関東営業所を移転、同時に関東支店に昇格。
2011年3月に発生した東北を中心に未曽有の被害をもたらした東日本大震災により、ダンボール産業でも大きな被害を受けましたが、復興需要や代替生産もあり年間では前年を上回るとともに、その後も回復基調が続いています。
創業60周年記念式典。
本店ビル14階建完成。
東大阪L.S.C移転(川田から布市町へ)
藤本仁代表取締役社長就任、門谷伸二会長に就任。横浜営業所開設。
創業70周年記念式典。